「ステージ4(笑)」・・・お医者さんに引いた話

「ステージ4(笑)」・・・お医者さんに引いた話

こんにちは。泣きよっちです。日本の新型コロナの感染拡大はある程度制御が出来ているけど、欧州など世界各国では第2波が猛威を振るっている・・・そんな昨今ですね。

さて今回の記事では、数年前に

“私が医者に心を傷付けられた体験”

についてお話することにしました。書こうか書かまいか悩みながら放置していたネタですが、記憶がどんどん薄れる前に記事として残しておこうかなと思った内容です。

お医者さんに引いた話

祖母の末期がんの発覚

私はこれまで実家暮らしを続けていて、育ての母である祖母も同居していました。今は天国にいる祖母は、亡くなる2年前から特に腰の痛みを訴えるようになって外出する機会が減っていき、亡くなる9か月前にあまりの腰の痛さから救急車を呼んで病院で診てもらいました。

搬送の結果、癌の疑いのあることが分かり、更に搬送された病院とはまた別の病院で精密検査を受けたところ、ステージ4(末期)の肺がんと診断されました。腰の痛みは、肺から腰骨へ転移した癌のせいだったのです。癌の発覚当時は80歳と高齢であったことや、末期という進行具合を考慮して、癌を治す為の治療ではなく緩和ケアを行うことを家族で決めました。

私にとって祖母は一番大切な人でしたし、当時からパソコン中心の引きこもり生活を行っていたことから、肺がんの発覚から亡くなるまでの9か月間は祖母の介護を行ってきました。車椅子がないと外出出来なくなった祖母を連れてがんセンターへ通院したり、食事を用意したり、薬を飲ませたり。寝たきりになってからは介護サービスや訪問医療にも頼りながら、祖母は自宅で息を引き取りました。多くの人に温かく見守られながらの、幸せな最期だったと思います。

( 余談ですが、私の人生において誇れる数少ない物事の一つは、祖母を大切にしてきたことです。癌が発覚するずっと前から家族の誰よりも祖母のことを大切にしてきたつもりですし、祖母が歩けるうちに一緒にいろんな場所へ行きました。だから、祖母が亡くなっても悔いは何一つありません。

ただ、介護をしていた9か月間を振り返ってみると、私の心の中でどうしてもモヤモヤ感の残る体験が一つだけありました。

がんセンターでの医師の言葉

祖母を介護していた当時、どういう流れで各病院の各診療科へ移ったのかは記憶の曖昧な部分がありますが、がんセンターへ通うようになって間もない頃のこと。

最終的に緩和ケアの為の放射線治療を行うことになったのですが、祖母の放射線治療の担当となったお医者さん(= “ 医師B ” とします)を紹介してもらう前に、当初は同じがんセンター内の別の科のお医者さん(= “ 医師A ” とします)のところへ2~3回ほど通いました。最初に診てもらった医師Aから、医師Bに祖母の紹介状?を書いてもらっていた時のことだったと思います。

祖母と付き添いの私の目の前で、医師Aが医師Bへ電話を掛けて会話をしていたのですが、その中でおそらく医師Bが癌の進行度を聞いてきたのでしょう。その会話の中で、私と祖母の目の前にいる医師Aは、

医師B:
「<(肺がんの進行度は?)」
医師A:

「えっ? ステージ4(笑)」

と発言されたのです。「(笑)」という表記を使いましたが、「ステージ4」という言葉を、ニヤけながらさらっと言った感じです。その時、私は何も反応しませんでしたがドン引きしました。耳の遠くなっていた祖母には、たぶん聴こえていなかったと思います。

改めて当時の体験について思うこと

お医者さんも一人の人間ですし、多忙ですし激務ですし、患者やその家族を前に完璧に振舞うことが出来ないことも私は理解しています。当時大事な人を亡くす恐怖に駆られセンシティブだった私が、あの時のお医者さんの様子や口調について被害妄想的に、過敏に捉えてしまっただけなのかもしれません。医師Aのことを、恨んだり等もしていません。

でも、当時の私の心がとても傷付いたことは事実です。誰よりも大切な存在だった私の祖母、癌を治すことは出来ないけど最期まで尽くしたいと思った私の祖母は、あのお医者さんにとっては先の短いただの患者の一人、いやもしかしたら祖母の命なんてどうでもよかったのかななんて私は考えてしまいました。

最後に

改めて言いますが、別に「ステージ4(笑)」と言ったお医者さんのことを恨んでいるわけではなく、あのお医者さんにこれからどうこうして欲しいということでも全くなく、 “ 私にはモヤモヤ感が残っています ” というだけの内容でした。それを吐き出したかった。

その人にとっては何気のない発言だったり態度だったりすることが、その人の立場受け手との関係性によっては、受け手の人間を深く傷付けることがありますよね。

【最後までご覧くださり、ありがとうございました。今後とも泣きよっちの創なぞりをよろしくお願いいたします!!】