進学校で不幸になった私のお話
こんにちは。泣きよっちです。新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言(=1回目)が解除され、第2波の到来が警戒される昨今です。生活の大きく変わってしまった方もいらっしゃるものの、私の場合はほぼ変わらなかったです。来月6月からは、ジム通いを再開出来て嬉しいですね。
さて今回の記事では、私の
“ 高校受験で進学校に入ったことによる不幸 ”
についてお話することにしました。あくまでも私一人の主観の体験談であることを、踏まえた上でご覧ください。
進学校で不幸になった話について
普通の中学から進学校へ
私は、昔から勉強の出来るタイプの人間でした。小学生の頃から勉強の出来る自覚はあって、中学生になっても学年の5本指の中にいたと思います。家庭科や音楽は苦手だったものの、それ以外はたいてい何とかなったので、どの学年になっても内申は9科目で40は下りませんでした。
( まるで昔の自分に浸ってるみたいで、書いてて気持ち悪く思います。 )
中学の頃から、漠然と「東京大学に行きたいかな...」とは思っていたものの、具体的に将来どうしたいというものが全然見えなかったです。でも、家族や小4の頃から通っていた塾の先生、親戚などの話を聞いているうちに、「県内で1番偏差値の高い公立高校に進むのが良いのではないか?」と思い始めました。結局、学園際や説明会にも行ったことのないその進学校を、受験することになりました。
私の住む県での当時の高校入試では【前期選抜】と【後期選抜】の2パターンがあり、前期では内申書と面接、後期では内申点と筆記試験によって合否が決まる仕組みになっていました。私の場合は、【前期選抜】でその進学校を受験し落ちました。【後期選抜】でどこを受験するか再考しましたが、志望先を変える理由も特に見当たらなかったのでもう一度その進学校を受験しました。
受験当日に塾で自己採点をしてみたらギリギリの、内申点の助けがなければ落ちてたくらいの点数でした。結果的に、私はギリギリの学力で進学校に入学することが出来ました。
高校では勉強が苦手になった
進学校への入学までの間に、学校から予習をするようにということで、教科書やテキストが配られ大量の課題を出されました。ただ、 ※1 数学のテキストが私に合わなかったこともあり早速挫折感を味わい、入学前から進学校を受験したことを後悔します。
※1 途中計算や説明の省略された、本当に頭の良い人向けのテキストでした。
入学後は勉強をすることが全てかのような校風を肌に感じ、校長は頻繁に東大の話をし、学年集会では他校との成績の比較もよく発表していました。公立高校だけど、校長や教頭のワンマン感が強く、部活の時間が勉強の為に削られ、自習室もどんどん増えていきました。
私は入学後も、勉強に躓き続けました。得意だった数学が分からない。英語に付いていけない。物理は全く理解出来ない・・・ただ分からないだけでなく、学校の教育のスピードからはどんどん引き離されていきました。また、勉強があまりにも出来ない現実に、「勉強の出来る自分」という今までのアイデンティティが崩れてしまい、自分の中の何かがおかしくなっていく感覚がありました。
( 中学の頃、いじめられていた時期があっても、自分はあいつらより頭が良いんだ、勉強では私に勝てないんだというプライドを持つことによって自分を保っていました。その大事なものが、呆気なく崩れたのです。 )
部活動での悪夢
中学時代は3年間ソフトテニス部に所属していて、高校では硬式テニス部に入りました。正直なところ、テニスについてさほど楽しいと思っていたわけではないものの、中学時代の部活の同級生の一部からはテニスで誘われることがよくあったので、この縁を切りたくない(=他に友達がいない)からこそテニスを続けることにしたのです。
しかし、私の入部したテニス部は宗教じみたブラック部活でした。上下関係が無駄に厳しく、何の為か分からない大きな声を常に出し、罰トレと呼ばれる懲罰的なランニング等をさせられていました。今冷静になろうとして振り返ると、そもそもテニスを上手くなる為にある部活動だったとは到底思えないです。
私は学校の勉強スピードに付き離されていく辛さと、部活動で心身を追いやられる苦しさから、どんどん塞ぎ込んでいきました。夕方に控える部活のことを考えるだけで、授業中にシャーペンを握った手が震え出すようになり、高校1年の夏休み明けに退部届を出しました。
硬式テニス部はたぶん学内で一番ブラックだったものの、他の部活だとそんなことはなかったように思います。私は中学時代の仲間との縁を切りたくないとの理由から、特に他の選択肢は考えずテニス部に入部しましたが、文武両面での大きな挫折が、私の高校生活を更に暗いものにしたと思います。
悩ましい人間関係
部活動を辞めた後は、部に残った同級生や先輩、顧問の先生との関係性に大いに悩みました。元々同期で入部した人数が少なかったので、部に残った仲間は1年生としての仕事負担が増えることになり、私は彼らに対しずっと後ろめたさを感じました。先輩の一部には優しく接してもらいましたが、挨拶しても私を無視したり、軽蔑の目を向ける方もいました。顧問の先生は、私のことを心配してくださいましたが、私はどういう顔でどういう態度で接したらいいのか分からず距離をとり続けました。
高校1年のクラスの、最初の席順にて自分の座席の周囲にいた数人の男子とは、お昼休みの弁当時間を通じて友達になることが出来ました。カラオケには何度も行きましたし、後の展開ですが大学卒業後も年に数回会うような関係になります。この記事を投稿している現在でも、稀にグループのラインが鳴りますね。返信はしないですけど。
逆に、その高1の時の数人のグループ以外に誰とも親しくなることが出来ませんでした。高2の時は、クラス内の “ 高1の時に出来た友達と仲の良い友達 ” とは話せるものの、親しくはなれない。高3の時は、いよいよクラスの誰とも喋らなくなり、地獄のような日々が続いていました。あまりにも孤独過ぎて、早く高校生活が終わってくれと願っていました。
大学受験の自然な失敗
高1で部活を退部してからは、時間的な余裕は増えたものの、勉強に専念するようになれたわけではありませんでした。何の為に勉強を頑張ったらいいのか、将来どうなりたいのかがまだ見えなかったのです。学校が終わったら最低限の宿題や予習をし、後はポケモンやモンハン等のゲームで時間を潰していました。期末テスト等では、ほぼ下位グループの成績になりました。
私の高校生活において、学習塾に通うことはありませんでした。塾に通うことで生じる、そこでの ※2 人間関係の難しさが怖かったこともありますが、みんなが通っている塾に通いたくない(=みんなと同じやり方はしたくない)という変なプライドも少しありました。
※2 小4~中3まで通っていた塾でも、人間関係でがんじがらめになっていた部分があって、そのトラウマもありました。
高校側の勧める夏期講習には積極的に参加し、高校の紹介する模試もたまに受けてみたりはしたものの、大学受験が迫っても自分を追い込むことは出来ませんでした。自分なりにマイペースにやってはみるものの、勉強や進路の相談の出来る相手が誰もいない。家族内では、私が自分一人で何でも進められる人間だと思われていたこともあり、私自身がそれに甘えそれにプレッシャーを感じていたりもしました。
高校の校長や先生たちは、学年が上がっても変わらぬ熱量で、学年集会にて受験の話を繰り返してました。教頭が「まだ恐ろしいほど静かな人がいる」と、受験に向けてエンジンの掛からない(であろう)人に向け、はっぱをかけるような発言をしたこともありました。
高校側は学習塾へ通うことを、生徒たちに推奨していたわけではないものの、実際のところ高3の段階では8~9割が通っていたので、担任の側が
「生徒は塾に通い、受験に関する知識もある程度得ているもの」
「生徒のほとんどは偏差値の高い4年制大学や医学部等を目指すもの」
という前提の認識で、受験の話を進めてくるのが辛かったです。もちろん担任は個別に相談に乗ってはくれますが、「あなたはこんなことも知らないの?」と思われるのが嫌で怖くて、やはり担任を頼ることは出来ませんでした。
受験シーズンに入り志望校を決めることになりましたが、漠然と「何かの経営」には興味あるかなと思ったので、経営学部や経営学科のある大学を探し、第1志望として国公立大学を受験しました。滑り止めはどこがいいのかよく分からなかったので、とりあえず高校OBの受験先から無難そうな私立の受験先を数校選び、また最終の防波堤として自分の高校の偏差値レベルからみて明らかに低い私立を1校選びました。
結果的に、私は最終の防波堤として受験した大学しか合格出来ませんでした。進路について再考しましたが、もしこれから浪人生活を始めるとなると、それこそ何の為に勉強を頑張ったらいいのか分からず頭が狂いそうになると思い、その受かった1校へ進学することにしました。私のことを、一人で何でも出来る子だと勝手に信じていた親からは、受験失敗によって激しく罵られ人格を否定されました。大学受験後の残りの高校生活では、親しかった高1の時のグループの友達にしか、進学先を恥ずかしくて言えませんでした。
最後に
高校生活について改めて振り返ると、本当に苦しかったなと思います。ただただ苦しく辛かった。入学する学校を間違え、入部する部活を間違え、人間関係において殻を破ることが出来ないまま高校生活が終わりました。そして紛れもない事実として、私は同学年の偏差値の足を引っ張っていました。3年間ずっと、“ ここに居てはいけない人 ” のような気まずさを抱き続けてきたのです。
私の人生における大きな問題として、対人場面をどうしても避けてしまうことが挙げられます。簡単に友達を作れない。知人を作れない。何か困った時に、相談することが出来ない。心を開けない。恥をかくことや少しでも批判されることを、極度に恐れてしまう。その場の空気を悪くしてしまう・・・精神科や心療内科に通ったことはないですが、おそらく回避性パーソナリティ障害なのだと思います。
私の通った進学校のことを悪めに書いてきたものの、もちろん良い面もあります。本当に勉強がしたくて、志望校に受かりたいという情熱のある生徒からすれば、勉強に熱い先生が多くて理想的な学校であったであろうと思います。私みたいに明確な目標や夢を持っていないで入学してきた同級生の中にも、部活や恋愛、学年行事などで楽しめた人は必ずいるはずです。ただ、私にとっては合わなかったということです。
また、上記では「入学する高校を間違えた」と書いたものの、これは高校1~2年の頃の私の考えです。現在の私は、「私はどの高校に行っても人間関係に躓き、楽しくない高校生活を送っていたはずだ。でも、もう少し偏差値の低い高校だったら、ここまで苦しむことはなかったのだろう」と思っています。
(別記事にて改めてしたためようと思いますが)私は高校卒業後も、やはり人間関係に悩み、絶望しながら大学生活を送ることになります。この記事を書いてる今だってそうです。この先もきっと、同じことの繰り返しなのだと覚悟しています。
“ 進学校の高校へ入学すること ” という観点について、この記事をご覧になる中学生の方や、その親御さんに対する何かアドバイスを整理してお伝えするならば、
【中学生の方へ】
・「学力ギリギリで受かるくらいなら、ご自分の実際の偏差値より低い高校に入学した方が精神的な負担は少ない」と私は思います。
・周囲の意見は無視して「あなたがどうしたいか?」をよく考えてください。
・「あなたがどうしたいか?」が考えても分からないなら、信頼できる人に相談してみてください。でも、物事のあらゆる選択の責任が自分にあることは、忘れないでください。
・「明確な夢や目標がないのなら、偏差値で進学する高校を決めるのではなく、専門学校への進学や中卒として働き始めることも選択肢に入れ、視野を広げて考えた方が良い」と思います。大人でも、自分の経験にないことはあなたにアドバイス出来ないことを、是非とも踏まえておいてください。
・気が乗らなくても、受験したい高校へは、下見として1回以上は行くべきだと思います。
・高校や大学への進学・選択では、人生は決まりません。
【親御さんへ】
・ご本人が何に悩んでいるのかに、寄り添ってあげてください。そして、親としての進路への考えを押し付けないでください。
・お子さんに過度の期待をするのは止めてください。
・お子さんとコミュニケーションを取ることを大切にしてください。「この親には何言ってもダメだ」とお子さんに思われないよう、本人の性格や考え、夢を認めてあげてください。
・お子さんの大学受験を成功させたいなら、家族としては精神面でのサポートがとても大切になります。
自身の高校時代について、何をどう整理したらいいのか、複雑過ぎて分かりにくい中この記事を書いてきました。他の記事に比べ、内容は伝わりにくかったかと思います。m(_ _)m
最後までご覧くださりありがとうございます!今後とも泣きよっちの創なぞりをよろしくお願いいたします!!
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